笑顔

その頃、病気の父を見舞うため、毎週土・日に車で田舎へ帰っていた。


膀胱癌の末期で、余命半年という医師の宣告にどうしていいかわからず、
ただあたふたするばかりだった。


そこへ、兄の借金問題が浮上してきた。友人の頼みを断りきれず、
連帯保証人の欄に署名押印した結果だった。


父が寝ている家に、毎日のようにサラ金から電話がかかってきた。
病床の父に話すわけにもいかず、さりとて自分に500万円の借金を
立て替えるあてもなかった。


暗澹たる思いで車を走らせていたとき、脇道から国道へ出ようとしている
車が見えた。運転していたのは若い母親で、助手席のチャイルドシートには
小さな赤ん坊が眠っていた。


わたしはスピードをゆるめて車を入れてやった。
母親は私に会釈しながらにっこり微笑んだ。その笑顔が何ともいえずよかった。
破顔一笑と言うのだろうか。一点の曇りもない、心の底からの笑顔のように見えた。
思わず私もつられて微笑んでいた。いや、微笑まされたという方が
より正確かも知れない。


その後何日間か、何度もその笑顔を思い出した。


笑顔には、人を幸せにする力があると思った。
それ以来、できるだけ笑顔で人に接するように心がけている。
笑顔に自信があるわけではないが、苦虫を噛み潰した顔よりはましだろうと思って、
にっこり微笑むことにしている。笑顔には元手がかからない。
大した努力も要らない。

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